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【監督】監督退任を発表した日本ハムファイターズ栗山英樹監督の就任から10年間の軌跡

  • 2021年11月13日
  • 監督
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北海道日本ハムファイターズを10年間に渡って牽引してきた、栗山英樹監督が退任することを発表した。

2012年から、10年間日本ハムファイターズを監督としてチームを導いてきた栗山英樹監督の活躍について紹介していきたい。

監督・栗山英樹!~二刀流・大谷翔平を育てた名将~ | BS朝日 ザ・ドキュメンタリー | BS朝日

 

栗山英樹監督10年間の軌跡

2012年
監督就任1年目となった2012年はチームのエースだったダルビッシュ有選手が抜け苦戦も予想されていた。しかし、吉川光夫選手、中田翔選手ら若手選手の台頭もあり開幕当初から好調を維持していた。10月2日、新人監督として17人目のリーグ優勝を果たしたのである。クライマックスシリーズでもファイナルステージでソフトバンクを無傷の4連勝で降し、現役時代は出場経験がなかった日本シリーズへの出場権を獲得した。ジャイアンツと対戦した日本シリーズでは2勝4敗で敗れ、日本一達成とはならなかった。
2013年
2年契約の2年目だったが、キャンプ直前の1月25日に糸井嘉男選手がトレードでオリックスへ移籍が決まると、その翌日に球団は急遽、栗山監督と2014年までの契約延長を発表した。高卒1年目の大谷翔平選手を二刀流で起用し、話題を集めた。大谷翔平選手は打撃でも期待に応え、投手では3勝を挙げるなど投打で采配に応えた。陽岱鋼選手が盗塁王(球団史上初)、新外国人のミチェル・アブレイユ選手が本塁打王のタイトルをそれぞれ獲得し、4番の中田翔選手も初の3割を達成するなど明るい話題が多かったが、吉川選手が前年から成績を大きく落とし、前年オフに移籍した田中賢介選手や糸井選手の穴埋めができず、中田翔選手も骨折で終盤離脱するなど苦戦し、優勝した楽天に18.5差をつけられ、12年ぶり最下位でシーズンを終えた。チーム防御率は5位、失策はリーグワーストの88を記録した。前述の通り契約延長により、2014年も指揮を執る事となった。
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2014年
大谷翔平選手が日本プロ野球初の同一シーズンでの10勝10本塁打を達成し、抑えに武田久選手が離脱したことで増井浩俊選手を起用し、これが当たり増井選手は抑えに定着した。最終的にチームは3位となり、2年ぶりにクライマックスシリーズ進出を決めた。CSではファーストステージで2位のオリックスに2勝1敗で勝利し、ファイナルステージではソフトバンクと対戦したが3勝4敗で敗れた。
2015年
79勝62敗2分となり、リーグ優勝した2012年の勝率、勝利数を上回る好成績を残したが、この年のリーグ優勝チームのソフトバンクホークスには12ゲーム差をつけられ2位となった。クライマックスシリーズでは、3位のロッテに1勝2敗で敗れた。
2016年
開幕から首位を独走したソフトバンクに一時最大で11.5のゲーム差をつけられながら、6月19日から7月11日まで球団新記録となる15連勝などで猛追。特に、監督就任からケガを除き一貫して4番打者として起用し続けた中田選手が不振に陥った際、6月27日の対西武戦では好機で中田選手に代打矢野謙次選手を送ったり、開幕から不調が続く守護神増井選手を8月から先発に転向させたりするなどの策を講じた。また、開幕から打撃が好調の大谷翔平選手が先発投手の試合において、DHが使用できるパ・リーグ主催試合でありながら、スタメンに敢えてDHを使用せず「投手・大谷」を入れ(5月29日の対楽天戦など)、7月にマメの影響で大谷の登板が不可能となった際には、二軍降格ではなく指名打者として一軍に帯同させながら、9月の投手復帰に向けた調整をさせた。天王山となった9月21日、22日のソフトバンク最終2連戦では2連勝しマジックを点灯させると、9月28日の対西武戦に勝利し4年ぶりのリーグ優勝を果たした(最大11.5ゲーム差からの大逆転劇は、1996年の巨人が首位広島と最大11.5ゲーム差だったのを捲って以来2例目である)。クライマックスシリーズでもファイナルステージで2位のソフトバンクを4勝2敗で降し、4年ぶりに日本シリーズへの出場権を獲得した。そして、広島カープと対戦した日本シリーズを4勝2敗で制覇し、球団としては10年ぶり3度目、自身としては初の日本一を獲得した。
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2017年
開幕直後に大谷翔平選手が負傷離脱し、先発陣が軒並み不調に苦しむこととなった。4月に6連敗と10連敗を繰り返し、4月を最下位で終えた。5月3日にロッテ戦に勝利し5位に、5月下旬に4位に浮上するが交流戦初戦でDeNAに敗れて5位に転落してからは順位を上げることも出来ず、早々にチーム再建へ舵を切る年となった。得意にしていた交流戦も初めて負け越し、9位に終わる。交流戦終了後の7月には、3度の5連敗を喫するなど1度も連勝することが出来ずに4勝18敗と大きく負け越した。それでも7月26日のロッテ戦で2004年の北海道移転後からの通算1000勝を達成。8月に入ってからは、8月16日のロッテ戦で約2ヶ月ぶりの2連勝、それ以降チームの調子も上向き、11勝10敗と5月以来の月間勝ち越し、9・10月も16勝13敗と勝ち越してシーズンを終えた。なお、最終戦ではメジャー移籍を志望していた大谷翔平選手が4番・投手で出場して10奪三振と2安打を記録し、チームも完封勝利で有終の美を飾った。最終順位は5位で2013年以来4年ぶりのBクラスとなる5位に終わった。
2018年
二軍監督に栗山監督と現役時代ヤクルトで同僚だった(なお、荒木の結婚式の司会は栗山が務めた)荒木大輔氏が就任した。前年守護神を務めた増井選手がオリックスへ移籍したこともあり、新外国人のマイケル・トンキン選手を守護神に抜擢し、交流戦以降は4年目の石川直也選手を起用するなど投手陣を再編成し、西武との優勝を争い後半戦から失速したが、2年ぶりAクラスとなる3位でシーズンを終了した。クライマックスファーストシリーズでは2位・ソフトバンクに1勝2敗で敗退した。オフには、三塁手として2016年のリーグ優勝と日本一にも貢献したレアード選手が退団し、ロッテへ移籍した。
2019年
オリックスのエースだった金子弌大選手が加入。この年、開幕当初はオープナーを採用し、実際に加藤貴之選手や堀瑞輝選手を、第2先発として金子選手を起用し、5月以降は本来の先発でも起用した。前半戦は2位で終えるも、8月以降は9連敗を喫するなど5勝20敗と大きく負け越し、9月は10勝10敗と5割だったが、8月の失速が響き5位に終わり、最下位のオリックスに15勝8敗2分と唯一の勝ち越しで交流戦も8勝9敗1分で残り、パリーグの4球団に負け越した。
2020年
開幕直後から低迷し、故障者の続出や外国人選手の不振など誤算、優勝したソフトバンクに20ゲームをつけられ、ソフトバンク戦は6勝17敗1分と大きく負け越した。失策はリーグワーストの75、捕逸もリーグワーストの13、チーム防御率は2004年以来16年ぶりの4点台の4.02、チーム本塁打数は89本で2年連続となるリーグワーストタイとなった。04年の北海道移転後では、球団史上初の2年連続Bクラスとなる5位に終わった。11月17日、栗都内の日本ハム東京支社で畑佳秀球団オーナーに今季の報告を行った席上で続投を要請され、1年の契約延長で合意した。来季が就任10年目となる。
2021年
正念場を迎えた就任10年目のシーズンは、中田翔選手の出場停止処分や主力選手の不振、選手・コーチの新型コロナウイルスが大きく響き、またしても開幕から不振に喘いだ。そのまま最下位を独走し、8月25日の試合で日本ハムの自力優勝の可能性が消えると、9月25日の試合で日本ハムの自力CS進出の可能性が消えた。そして、10月16日に栗山が2021年シーズン限りで日本ハムの監督を退任することを発表した。なお、最下位は脱出したものの、3年連続Bクラスの5位で終了。11月1日に退任に関する記者会見が行われた。

年度別監督成績一覧

リーグ公式戦








2012年 日本ハム 1位 144 74 59 11 .556 90 .256 2.89 51歳
2013年 6位 144 64 78 2 .451 18.5 105 .256 3.74 52歳
2014年 3位 144 73 68 3 .518 6.5 119 .251 3.61 53歳
2015年 2位 143 79 62 2 .560 12.0 106 .258 3.62 54歳
2016年 1位 143 87 53 3 .621 121 .266 3.06 55歳
2017年 5位 143 60 83 0 .420 34.0 108 .242 3.84 56歳
2018年 3位 143 74 66 3 .529 13.5 140 .251 3.77 57歳
2019年 5位 143 65 73 5 .471 13.0 93 .251 3.76 58歳
2020年 5位 120 53 62 5 .461 20.0 89 .249 4.02 59歳
2021年 5位 143 55 68 20 .447 14.0 78 .231 3.32 60歳
通算:10年 1410 684 672 54 .504 Aクラス5回、Bクラス5回

栗山英樹監督引退会見

日刊スポーツ記事より

日本ハム栗山英樹監督(60)が1日、札幌ドームで退任会見を行った。

「10年間という時間が長いのか短いのか分かりませんけど、目いっぱい選手たちのために、そしてファンの皆さん、応援してくれる皆さんに何とか喜んでもらおうと全力で走ってきました。ただ、終わってみると後悔とか悔いとかそういったものばかりではあります」としみじみ振り返った。それでも「NPB含めまして全国の野球をやっている関係者の皆さん、そして審判含めまして全ての人たち、そういった方がいて10年間やらせてもらえた。本当にありがとうございました」と感謝の言葉を述べていた。

引退の斎藤佑樹を「本当はエースにしようとした」 退任のハム栗山監督が苦闘労う | Full-Count

12年から10年間指揮をとり、1年目からリーグ優勝。大谷翔平選手を二刀流として育て16年は日本一に導いた。球団歴代最多の684勝を挙げた名将が静かにユニホームを脱いだ。

10年間日本ハムファイターズを指揮し、日本一まで導いた栗山監督。北海道民に感動を与えてくれたことに本当に感謝したい。きっとまた活躍している姿を見せてくれると思うし、それを楽しみにしていきたい。

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