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【監督】日本ハムファイターズ・栗山英樹監督10年間指揮したチームを今季限りで退任することを発表

  • 2021年11月3日
  • 2021年11月17日
  • 監督
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北海道日本ハムファイターズ・栗山英樹監督が10年間率いたチームを今季限りで退任することを発表した。

選手引退から監督就任までの間は、野球解説者、スポーツジャーナリストのほか白鷗大学教授としても活動し、2012年から日本ハムファイターズの監督を務めてきた。

10年間チームを率いてきた栗山英樹監督について今回は、「プロ野球選手になるまで~引退後の活躍について」、紹介していきたい。

栗山英樹監督プロ野球選手になるまで

創価高校に進学後、1年生からベンチ入りし3年生の時は主将兼エースとしてチームを牽引、春の東京大会では早稲田実業高校に敗れ、関東大会出場を逃し、優勝候補として期待されていた夏の大会でも4回戦で敗退し、甲子園出場は果たせなかった。

高校卒業後は、教員を目指し東京学芸大学に進学、硬式野球部に入部し投手・内野手として活躍。東京新大学野球連盟では投手として1年春、2年春のシーズンをリーグ制覇するが、右ひじを故障してからは野手に転向することになる。

東京新大学野球連盟では通算25勝8敗、打者として打率.389という好成績を残した。

在学中に小・中・高の教員免許を取得し教員を目指していたが、4年時には社会人・朝日生命に内定、その後プロチームの入団テストを受け、ヤクルトスワローズへドラフト外入団が決まった。

そこからプロ野球人生が始まる。

栗山英樹監督プロ野球選手としての活躍

栗山英樹 選手としても実績ゼロから成功した理由/プロ野球1980年代の名選手 | 野球コラム - 週刊ベースボールONLINE

日本野球機構ホームページより

 

投打 右投両打
身長/体重 174cm/72kg
生年月日 1961年4月26日
経歴 創価高 – 東京学芸大
ドラフト 1983年ドラフト外
年度 所属球団 試合 打席 打数 得点 安打 二塁打 三塁打 本塁打 塁打 打点 盗塁 盗塁刺 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 長打率 出塁率
1984 ヤクルト 2 1 1 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000
1985 ヤクルト 29 18 18 9 5 1 0 0 6 1 1 0 0 0 0 0 1 1 .278 .333 .278
1986 ヤクルト 107 258 239 34 72 5 0 4 89 14 8 5 9 0 4 6 26 0 .301 .372 .329
1987 ヤクルト 72 99 92 13 18 1 1 0 21 5 0 1 3 0 3 1 7 3 .196 .228 .229
1988 ヤクルト 90 370 338 33 112 11 4 0 131 17 7 5 20 0 7 5 33 0 .331 .388 .354
1989 ヤクルト 125 484 420 49 107 18 3 2 137 26 4 4 37 4 17 6 34 5 .255 .326 .291
1990 ヤクルト 69 109 96 15 22 0 1 1 27 4 3 0 10 0 2 1 7 3 .229 .281 .253
通 算 494 1339 1204 153 336 36 9 7 411 67 23 15 79 4 33 19 108 12 .279 .341

1年目の1984年に遊撃手として一軍デビューを果たした。

2年目の1985年からは、平衡感覚が狂う三半規管の難病であるメニエール病に苦しむようになり、試合中に突然目まいや立ちくらみを覚えるようになる。栗山選手が最初にメニエール病の症状に襲われたのは、5月の二軍の公式戦であったそうだ。

この試合の最終回に突然地面が揺れ始め、ボールが2つにも3つにも見えるようになり、あと1人で試合終了というところでベンチへ交代を願い出ている。しかし、一・二軍間のボーダーラインにいた栗山選手は、その後は目まいが起こっても首脳陣には隠して頭をクラクラさせながらも試合に出続けたという。同年には外野手として一軍でのスタメン出場を果たし、オールスターゲームにも出場。オフには意図的に三半規管を麻痺させる治療を受け、一時的に症状を抑え込んでいる。

このオフには、ベテランの若松勉選手(翌年から打撃コーチ補佐兼任)が栗山選手の俊足を生かすためにスイッチヒッターに挑戦させてはどうかと土橋正幸監督に提案。栗山選手はもともと右打ちだったが、若松選手の指導の下、左打ちの猛練習に取り組んでスイッチへと転向した。この猛練習の結果、翌1986年の5月末に杉浦享選手が負傷してポジションが空く外野のと、6月からは1番右翼手としてレギュラーに定着し、規定打席未満ながら打率.301をマークした。

ところが、シーズン終盤には再び試合中に目まいや立ちくらみを覚えるようになり、オフには治療に専念するため長期入院を余儀なくされた。

結局、栗山選手は翌1987年のユマキャンプには参加できず、開幕にこそ間に合ったが調整不足のため打撃不振に陥ってレギュラーを外された。復活を期する栗山選手は、再び若松選手の指導の下で猛練習を重ねて調子を取り戻し、1988年のユマキャンプで左足の肉離れを起こしてしまったため、この年の開幕には間に合わなかったものの、6月に復帰すると1番・中堅手に定着してヒットを量産する。出遅れが響いて規定打席には33打席足りなかったが、打率.331を記録した。

1989年には、開幕から中堅手のレギュラーに定着。当初は1番を打っていたが、ルーキーの苫篠賢治選手が1番に固定されると2番に回り、37犠打を記録した。シーズン序盤は攻守ともに絶好調で、打率も3割以上を維持していたが、6月中旬にメニエール病の症状が再発すると打率が急降下した。そのため、8月以降は先発を外れることもあり、スタメンの場合でも7番・8番に打順を下げての出場が多くなった。結局この年は打率.255に終わったものの、初めて規定打席に到達し、守備範囲の広さを評価されてゴールデングラブ賞を獲得した。なお、斎藤雅樹選手がプロ野球新記録となる11試合連続完投勝利を達成した同年7月15日の対巨人戦では、9回表2死で打席に立ち初球を一直に打ち取られ最後の打者となった。

だが、栗山のメニエール病の症状はシーズン終了後もなかなか好転せず、満足な練習ができないまま次のシーズンに臨まざるを得なくなり、翌1990年に野村克也さんが監督に就任すると、当時無名だった柳田浩一選手にレギュラーの座を奪われた。それでも、途中出場となった4月7日の開幕戦(対巨人)では大森剛選手の抜ければサヨナラという左中間の強烈なライナーをダイビングキャッチでアウトにする活躍を見せるも、栗山本人はメニエール病の症状に加えて古傷の右肘の故障も再発したため極度の不振にあえぎ、レギュラーの座を奪い返すことはできなかった。

そしてこの年で引退を決めたのである。

引退後の栗山英樹氏

1991年から2011年までは野球解説者・スポーツキャスターとしてテレビ朝日、TBSテレビ・TBSラジオに出演していた。スポーツニッポン専属野球評論家も務め、そのかたわら、母校東京学芸大学の講師を務め、少年野球の普及育成に努めた。

2004年から白鴎大学助教授、2007年から准教授、2008年に教授に昇進。経営学部教授としてスポーツメディア論・野球型などを専門分野としていた。なお、現在は監督業のため休職という扱いになっており、白鷗大学に籍を残している。

TBSラジオ解説者としてのコピーは熱中先生国際派。2002年までテレビ朝日のプロ野球中継にあったコピーは熱血先生

北海道の栗山町から観光大使を依頼され、栗山町民との親交を深めたことがきっかけで、私財を投じて天然芝の野球場と練習場などを兼ね揃えた栗の樹ファーム」を2002年に完成させている。「栗の樹ファーム」では少年野球教室や大会が開かれ、子どもたちの夢を育む舞台にもなっている。2009年にはこの功績が認められ、芝生学会より日本芝生文化大賞を受賞した。また、同所に本拠を移している関係もあり、日本ハムファイターズが本拠地を東京から移す直前の2003年からは、HBCラジオをはじめとする道内放送局のファイターズ戦中継でも解説を行っていた。

2000年代以降は日本野球機構などが開催するシンポジウム「夢の向こうに」で第1回(2003年)から司会を務めるなどをし、プロ野球選手と高校球児の交流事業にも積極的に参加してきた

2009年には、日本高等学校野球連盟が定めるアマチュア資格を満たさない元プロ野球選手としては初めて、同連盟から高校球児への直接取材を特別に認められた(日本学生野球憲章第10条の特例措置)。同年以降の全国高等学校野球大会期間中には、プロ野球解説・評論などの活動と並行しながら、朝日放送(ABCテレビ)の「熱闘!高校野球ナビゲーター」として地方大会から同局制作の情報番組(『熱闘甲子園』など)で司会や取材を担当していた。

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↑栗の樹ファーム

栗山英樹の画像・写真 | 甲子園メインキャスターに抜擢、テレ朝本間アナ「成長した姿みせる」 3枚目 | ORICON NEWS

以上、栗山英樹監督の「プロ野球選手になるまで~引退後の活躍について」紹介してきた。

次回は、栗山英樹監督の北海道日本ハムファイターズ監督に就任してからの活躍について紹介していきたい。

 

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