今年もまた、現役引退を発表した選手がいる。北海道日本ハムファイターズ・斎藤佑樹選手である。
2006年、夏の甲子園大会を覚えているだろうか??
早稲田実業高校では、田中将大選手(現楽天)を擁し夏の甲子園3連覇を目指していた駒大苫小牧高校と決勝再試合で破り、ハンカチ王子としても話題となった選手である。
高校卒業後は、早稲田大学へ進学し活躍・ドラフト1位指名で北海道日本ハムファイターズ入団した。
そんな斎藤佑樹選手のプロ入り後の活躍を紹介していきたい。
斎藤佑樹選手入団後の成績
2010年のドラフト会議で球団から一位指名を受け、抽選の結果日本ハムファイターズが交渉権を獲得し、入団することになった。同会議では、早稲田大学の同期生である大石達也選手と福井優也選手も、それぞれ西武ライオンズと広島東洋カープ一位で指名され、同一大学の投手3人が1位指名を受けたのは同会議史上初となった。
2011年
4月17日、札幌ドームの千葉ロッテ戦に先発でプロ初登板、5回4失点で初勝利、同期入団のルーキーの中で初勝利1番乗りとなった。しかし5月8日のソフトバンク戦で先発し1回を三者凡退に抑えたが、左脇腹の違和感を訴えて降板、左内腹斜筋の禁挫傷で全治2~3週間と診断され、登録抹消となった。
6月29日に1軍復帰すると、7月22日からのオールスターゲームにも出場し2試合の登板を無失点に抑えスカイアクティブテクノロジー賞を受賞。シーズンでは故障もありながらもローテーションに加わり6勝6敗防御率2.69という成績でシーズンを終えた。
2012年
2年目にシーズンでは、栗山新監督から開幕投手に指名され、3月30日の開幕戦(本拠地札幌ドーム)では9回1失点で初の完投勝利を挙げた。4月20日のオリックス戦では初完封勝利を挙げた。6月6日の広島カープ戦では自身の誕生日をバースデー勝利で飾るも、6月12日以降は6戦連続で勝ち星から遠ざかるなど、成績不振に陥った。7月30日に再調整のため出場選手登録抹消となった。
二軍でも7試合に先発し1勝5敗、防御率5.05、WHIP1.56と結果を残せなかったが、9月29日に2か月ぶりに一軍へ復帰した。1試合中継ぎ登板した後、10月5日の東北楽天ゴールデンイーグルス戦に先発するも、4回2/3を6失点と打ち込まれ8敗目を喫し、翌日に登録を抹消されレギュラーシーズンを終えた。シーズンを通して投球フォームが定まらず、本人は結果と調子の感覚が一致しなかったという。この年の夏頃から肩に違和感を抱き始めていたが、フォーム調整のために投げ込みを続けた結果痛みが悪化し、11月の終わりに右肩の関節唇損傷と診断された。
2013年
1月31日、右肩関節唇を損傷している疑いがあることが報じられた。前年の右肩痛の影響もあり二軍スタート。二軍で9失点を喫した後に復帰を果たすものの、5回もたずKOされ、一軍での登板はその1試合のみに留まり、二軍での成績も1勝3敗、防御率8.61に終わった。
2014年
7月31日のロッテ戦で先発し、5回まで毎回走者を出しながらも、6イニングを6安打、ソロ本塁打による1失点で抑え、2012年6月6日の広島戦以来785日ぶりに勝利投手となった。二軍では17試合に登板し、1勝7敗、防御率4.73の成績に終わった。
2015年
この年も不振を脱却することができず、12試合の登板で1勝3敗、防御率5.74と不本意な成績で終わった。
2016年
この年は11試合に登板するも未勝利に終わる。オフに背番号を「1」に変更。斎藤は成績の責任を感じて球団に背番号の変更を願い出るも、提示されたのはFAで巨人に移籍して空いた陽岱鋼のつけていた1番であった。この番号は、かつて頂点を極めた夏の甲子園でつけていたエースナンバーである1番で再び輝きを取り戻せ、という球団からのメッセージであるとの見方が強い。2016年、日本ハムは2012年以来、4年ぶり7度目のリーグ優勝と2006年以来、10年ぶり3度目の日本一に輝いた。
2017年
5月31日、札幌ドームでのDeNAとの交流戦に登板。2015年9月16日のロッテ戦(千葉マリンスタジアム)以来623日ぶりの勝利となった。
2018年
2年ぶりとなる未勝利に終わり、230万円減となる推定年俸1600万円で契約更改した。
2019年
11試合に登板するも、2年連続未勝利となった。ただしこの年は中継ぎがほとんどであり、防御率は4点台後半も、WHIPは1.29とキャリアハイの数字であった。
2020年
プロ入り後初の一軍登板なしに終わり、イースタン・リーグでも19登板で1勝3敗、防御率9.31だった。10月、右肘の内側側副じん帯断裂と診断される。
2021年
7月12日のイースタン・横浜DeNAベイスターズ戦(ファイターズ鎌ヶ谷スタジアム)にて2020年10月16日のイースタン・巨人戦以来の269日ぶりの実戦登板を果たした。打者3人に9球3者凡退に抑えて無安打無失点だった。しかし、同年シーズンも一軍復帰とはならず。10月1日、現役引退を表明。10月17日に本拠地、札幌ドームのオリックス・バファローズ戦で引退セレモニーを執り行うことが発表された。同日の試合前に記者会見を開き、7回に登板して先頭打者の福田周平に四球を与えて降板したものの、スタンドのファンから拍手で見送られた。試合は4-3で勝利し、試合後には引退セレモニーが行われ、栗山英樹監督、梨田昌孝元監督、早実の先輩であるソフトバンクの王貞治球団会長からのビデオメッセージが送られ、引退試合に花を添えた。
斎藤佑樹選手年度別投手成績
Wikipediaより
年
度 |
球
団 |
登
板 |
先
発 |
完
投 |
完
封 |
無 四 球 |
勝
利 |
敗
戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝
率 |
打
者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬
遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴
投 |
ボ 丨 ク |
失
点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2011 | 日本ハム | 19 | 19 | 1 | 0 | 0 | 6 | 6 | 0 | 0 | .500 | 472 | 107.0 | 122 | 5 | 35 | 1 | 5 | 62 | 6 | 0 | 41 | 32 | 2.69 | 1.47 |
2012 | 19 | 18 | 2 | 1 | 0 | 5 | 8 | 0 | 0 | .385 | 480 | 104.0 | 126 | 8 | 48 | 1 | 2 | 59 | 5 | 0 | 60 | 46 | 3.98 | 1.67 | |
2013 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 23 | 4.0 | 5 | 0 | 5 | 0 | 1 | 1 | 1 | 0 | 6 | 6 | 13.50 | 2.50 | |
2014 | 6 | 6 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 0 | .667 | 118 | 26.0 | 28 | 4 | 16 | 0 | 1 | 20 | 0 | 0 | 15 | 14 | 4.85 | 1.69 | |
2015 | 12 | 7 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 190 | 42.1 | 52 | 5 | 14 | 0 | 1 | 24 | 0 | 0 | 28 | 27 | 5.74 | 1.56 | |
2016 | 11 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 104 | 23.2 | 26 | 2 | 11 | 0 | 2 | 14 | 3 | 0 | 12 | 12 | 4.56 | 1.59 | |
2017 | 6 | 6 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 0 | 0 | .250 | 126 | 28.0 | 39 | 3 | 5 | 0 | 2 | 14 | 0 | 0 | 23 | 21 | 6.75 | 1.57 | |
2018 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | .000 | 45 | 8.2 | 8 | 2 | 12 | 0 | 2 | 3 | 0 | 0 | 8 | 7 | 7.27 | 2.31 | |
2019 | 11 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | .000 | 87 | 21.0 | 19 | 1 | 8 | 0 | 0 | 12 | 2 | 0 | 12 | 11 | 4.71 | 1.29 | |
通算:9年 | 88 | 63 | 3 | 1 | 0 | 15 | 26 | 0 | 0 | .366 | 1645 | 364.2 | 425 | 30 | 154 | 2 | 16 | 209 | 17 | 0 | 205 | 176 | 4.34 | 1.59 |
11年間のプロ野球生活に別れ
プロ入団から大きな期待をされてきた。プロ2年目には、開幕投手を任されプロ初の完投勝利を飾る。
チームとファンの期待を一身に受け、お立ち台では「今は持っているのではなくて、背負っています」という名言を残した。
しかし、この年から右肩のケガとの戦いが始まった。右肩を故障してからの9年間は通算4勝12敗の成績となった。ここ2年は一軍登板「0」に終わった。
10月17日、本拠地札幌ドームでプロ野球生活最後の登板、オリックスとの一戦。1点リードの7回、大きな拍手に包まれ2年ぶりの一軍マウンドへ上がった斎藤。
オリックス先頭の福田周平に真剣勝負を挑むもフルカウントの末、最後の一球が外れ四球に。プロ野球生活に別れを告げた。
大学時代と同じ最高の仲間と過ごしたプロとしての11年間。ハンカチ王子として注目され、多くの人の記憶に刻まれた野球人。33歳、第2の人生が今始まった。
今後どんな人生を歩み、活躍をしていくのか本当に楽しみである。